Yozo Hamaguchi

「ぶどう」と「さくらんぼ」を生涯描き続けた版画家、浜口陽三さん。

先日ご紹介した山田太一さんのインタビューの中で、「多くの人が前向きのよき断念こそが必要ではないでしょうか。」という言葉が印象に残りますが、それを一流の作家さんとして実践したひとりこそ、浜口陽三さんなのではないでしょうか。

「ぶどう」と「さくらんぼ」。

Michael Wesley

ちょっと遡りますが、2004年11月、MoMA(ニューヨーク近代美術館)の新館が完成、お披露目となりましたね。

ご存知の方も多いかと思いますが、設計は日本人建築家、谷口吉生さん。

1935年に開館したMoMAは、フィリップ・ジョンソンさん(Philip Johnson)が1964年に東翼、シーザー・ペリさん(Cesar Pelli)が84年にガーデン翼を手がけています。

97年に行なわれた建築家10人によるコンペを谷口吉生さんが見事に勝ち取り、足掛け7年のロングプロジェクトになりました。

その長い建築のプロセスを克明に記録したドイツ人写真家、マイケル・ウェズレーさん(Michael Wesley)。

2001年8月、ウェズレーさんはMoMAの大がかりな建築&改築プロジェクトの光景を映し出すための場所を選び、MoMAの内部と周辺の数箇所に特殊設計のカメラを設置。

約3年後 (3秒でもなく、3週間でもなく、3ヶ月でもなく、3年ものあいだ!)に露出を終えた写真は、偶然がなし得る美しさに満ち満ちており、空間の濃淡を微妙な網目として描き出しています。

最後の頁のセントラルパークに降り注ぐ光の矢は圧巻です。

作品集『Open Shutter』には写真部門のアソシエイトキュレーターであるサラ・ハーマンソン・マイスターさん(Sarah Hermanson Meister)が構成した図解も収録されており、ウェズレーさんの作品と見事にシンクロしています。

必見!

Olaf Otto Becker

休日に写真集をいろいろと見て廻りました。

気のせいかもしれませんが、「白い風景」の写真集が目につきました。

鈴木理策さんの『熊野、雪、桜』。
鈴木さんの故郷である熊野を題材にした作品集です。純白の雪景色の中に木々がわずかにのぞいています。
まるで自分が雪山の小径を歩いているような錯覚。
手前の大きくぼけた花のすき間にくっきりと桜の遠景が見える、独特のディテールと没入感に、鈴木さん独自の視点が垣間見えます。

もうひとつは、石川直樹さんの『POLAR(ポーラー)』。
2006年に三木淳賞、さがみはら写真新人奨励賞を同時受賞し写真家としての活動が注目される彼が、10年にわたって断続的に旅してきた北極圏。
圧倒的な氷の山脈、最果ての港に営まれる生活、小さな村での動物との暮らし、進む温暖化の現実…。
一般的に抱かれる北極の真っ白な世界のイメージを覆す、ありのままの北極の風景。
そこに住む人々の日々の営みが美しくとらえられています。

そんな中で、私のイチオシは、オラフ・オットー・ベッカーさん(Olaf Otto Becker)の『BROKEN LINE』(Hatje Cantz刊)。
カメラとともに、GPSを携えて、いざ、グリーンランドの地へ。
氷のフィヨルド、破壊された幾何学。
先の日本人写真家の「白」が「軟」とすれば、ベッカーさんのそれは「硬」。
写真の質感そのものが硬質であるだけでなく、氷の大地のなかに、いかに地球の原初というものがかたくなに残されているか、GPSの精緻なデータとともに魂の奥底に冷たく響いてきます。

Gordon Matta-Clark

行きたかったなぁ、ゴードン・マッタ-クラークさん(Gordon Matta-Clark)の初めてのフルスケール回顧展『You Are The Measure』(於:ホイットニー美術館)。

マッタ-クラークさん(1943 − 78、享年35歳)がアーティストとしての活動を始めるきっかけは、20代半ばにロバート・スミッソンさん(Robert Smithson)らを含むアース・アートの活動に参加したことだといわれています。
遺棄された建築物をチェーンソーで断裁するダイナミックなプロジェクトは、1970年代、ミニマリズムに続く次の世代に大きな影響を与えました。
マッタ-クラークさんが生きた70年代は、不況の時代でもありました。ニューヨークの町なかは都市計画半ばで打ち捨てられたビルディングであふれる一方、彼が拠点としたSoHoは、活動的で変化に満ち実験的なアート・コミュニティーであったといわれています。
マッタ-クラークさんの建築物の切断・分断という行為は、一見破壊的でありながら、空間の発見、コミュニティー建築としてのビルや空間の再生・再利用といった創造的な行為でもありました。1971年にはアーティストによるアーティストのためのレストランFoodを設立。3年後には閉鎖されてしまいますが、その間、マッタ-クラークさん自身はもちろん、約60人ものアーティスト達が調理から経営に至るまで様々な形で参加したといわれています。
マッタ-クラークさんが分断した建物は、その後取り壊され現存するものがありません。残るのは、その過程を収めたビデオや写真。今回の回顧展にあわせて出版されたカタログは、「さすが、ホイットニー美術館。」とうならせる充実の内容ですが、会場で上映されたマッタ-クラークさんの制作活動を記録したドキュメンタリー・フィルムは、残念ながら一般には流通しておりません。
DVD化を切に希望します。

P.S.
作風はマッタ-クラークさんと異なりますが、フランスの現代美術家、ジャン=ピエール・レイノーさん(Jean-Pierre Raynaud)が23年(!)もの年月をかけてカンペキな美的水準にまでつくりあげた「白い家」(床、壁、天井、ベッドから家具にいたるまで、すべてが15cm四方の白いタイルで構築されています)を自ら破壊する行為をとらえた貴重な映像がDVD化されています。
ケンチクとアート。
複眼的にクリエイティビティの根源を刺激する美しい「記録」です。

Milt Jackson

ニューヨーク近代美術館(通称:MoMA)。
15年前に一度訪れたきり、すっかり御無沙汰しておりますが、一昨年秋、日本人建築家・谷口吉生さんの手により新館が竣工しましたね。是非とも再訪したい場所のひとつですが、美術館の規模が拡大するにつれ、すべての作品を身渡すのは至難の業。集中力がつづかないというか、右脳が飽和状態になってしまうことは多くの皆様もご経験があるかと存じます。
そんな中で、私のベスト・オブ・ベストは、敷地内に設けられた「庭」。ただ作品を陳列・巡回するという有り体のスタイルから、一挙に心洗われる非常に心地よい空間です。
そんな由緒正しき「庭」で1965年、伝説のライヴが行われていたんですね(ご存知の方も多いかと存じますが / 写真)。
リーダーは、ミルト・ジャクソンさん(Milt Jackson / vib)。脇を固めるのは、いぶし銀のジャズ・ミュージシャン。

ジェームス・ムーディさん(James Moody / reeds,vo)
あらゆるジェネレーションを超えて、その手腕は衰えることをしらない
シダー・ウォルトンさん(Ceder Walton / p)
稀代の美しいピアノを熟知しています
ロン・カーターさん(Ron Carter / b)
私は彼のように年を重ねたい
キャンディ・フィンチさん(Candy Finch / ds)
プロミュージシャンから絶大なる信頼を置かれるサイドメン

「庭」の開放感と相まって、オーディエンスの絶妙なレスポンスが、さらに場のほどよい緊張感と心地よさを補ってあまりあるほどです。
さて、ミルト・ジャクソンさんといえば、ご存知MJQの中心メンバー。思うのですがMJQは洗練されたイメージで捕らえているのですが、ミルト・ジャクソンさんのリーダー作に関してはエネルギッシュ&泥臭さ&明るさが全面に出ていると感じるのですが如何でしょう??
MJQのような計算されたジャズと違い、楽しんで演奏していることが存分に伝わってきます。ジェームス・ムーディさんのヴォーカルまで楽しめるB-3など内容も盛り沢山でミルトのワイルドな一面を感じることの出来るアルバムです。
オススメ。

P.S.
しかし、ライムライトのジャケットの作りは秀逸ですね。これはWジャケですが飛び出す絵本の如き細工がされていて凝った作りになっています。アルバムそのものがMoMAのコレクションとして所蔵されてもおかしくない、家宝モノの一枚です。

Gustav Mahler

年齢不詳の私ですが、パーソナル・ヒストリーを僭越(せんえつ)ながら披瀝させていただきます。カッコイイのか悪いのかわかりませんが、私は28歳で大学に入学しました。当時サラリーマンをしていたので、昼は会社、夜は学校、授業が終わってまた会社で仕事という二重・三重生活を4年間つづけました。大学は私立の美大でしたので、給料の大半は学費に消えてしまいましたが(私立の学費は高いですね・苦笑)、自分なりにいいお金の使い方をしたと思っています。年の差が一回りも離れた若者たちと共に過ごした学生生活は、「与える」ことより「与えられる」ことの方が多かったような気がします。
そんなステキな仲間たちとの卒業制作展がドイツ人の先生のご尽力によりバウハウス(写真)で行われることになりました。そうです、あのバウハウスです。4年間の集大成がバウハウスでできるというのは、これ以上の舞台はないと思えるほど感慨深いものでした。会場を訪れてくれた方々は作品を前にして、積極的に私たち学生とコミュニケーションをとろうと様々な質問を投げかけてくれました。英語で四苦八苦しながらの問答を思い返すと、今でも背中に汗をかいてしまいます。

あれから10年。いま思い起こせば、あの頃が私の絶頂期だったかなぁ。
「いやいや、そんなことはない。」微かな可能性に希望を見いだそうとする自分。
一方で、もうこれ以上は無理。一度希釈された人生の濃度はもうもどらない。薄い呼吸の中で余生を送ってゆくのだろうか。わからない。でも、はっきりしているのはこのテキストを書いている背後にマーラーの交響曲第五番、葬送行進曲が不穏な空気とともに流れているのは確かだ。