Edvard Munch

Work in his later years of Edvard Munch, “Self-portrait. Between the clock and the bed”.

I sympathize with this painting rather than his representative work “The Scream”.

エドヴァルド・ムンクの晩年の作品、「時計とベッドの間の自画像」。

私は、この作品にシンパシーを覚える…

「叫び」以上に。

Wilderness

いま一編の小説を読み終えようとしている。
60年代の新宿歌舞伎町を舞台に描かれたその小説は、その活き活きとした描写によって、作中の人物にもかかわらず彼らに同化してしまったかのような錯覚をおぼえる。
悲しい運命を背負った登場人物たちが、凍てついた世間に対して無言の抵抗を振りかざすかのように、己の力を漲らせている様に私は共感を憶えずにいられない。

『あゝ、荒野』と題されたその小説は寺山修司さんが初めて取り組んだ長編小説である。
もともと66年に初版が刊行されていたが、この度、森山大道さんの200枚を超える写真を伴ってめでたくPARCO出版より再版された次第である。
森山さんのレンズを通してとらえられた60年代の風景は寺山さんが戦っていた時代を見事に現代に蘇らせてくれた。そして、なにより60年代の時代の空気を私たちに追体験させてくれた。
「あとがき」の中で寺山さん本人が述べているように、この小説は緻密な計算のもとにプロットをあらかじめ設定したうえで書き綴ったのはなく、あたかもジャズのインプロヴィゼーションの手法を小説に取り込むがごとく、大雑把なストーリーだけを決めておいて、あとは即興描写によって書き進めていったという。
その効果は十二分に発揮され、読み手としても時速数百マイルのスピードで600ページを超えるボリュームを一気阿世に突き進むことができた。
そんな手法を使いながらも、寺山さん独特のメタファーやレトリック、ドラマツルギーもあいかわらず気が利いている。
小説は佳境に入っているが、寺山さんのインプロヴィゼーションはどんなかたちで終演を迎えるのだろう。

Hope Sandoval

気分が沈んでいるとき、カタルシスを求めてダウナーな音楽を聴くか、片や対照的にポップな音楽で自らを高揚させるか、人によって大きく分かれるところだろう。
私の場合、メランコリックな気分に陥ったときはほぼ前者の行動をとる。
しかしこのような行動パターンはいまの病気に端を発しているわけではない。
メランコリックな状態にあることが単純に好きなのだ。
要するに、私は自己愛人間であり、ナルシストということになる。
このような習性は厄介だけれども持って生まれた性分だからいかんともし難い。
おまけに執着心が強いときているから、周囲からしてもまったくもって疎ましい存在にちがいない。

さて、自分の性格ばかり並びたてても面白くないので、ここはひとつ最近聞いたお気に入りのアルバムをひとつ挙げておくことにしよう。
アーティスト:ホープ・サンドヴァル(Hope Sandoval & The Warm Inventions)。
アルバムタイトル:バヴァリアン・フルーツ・ブレッド(Bavarian Fruit Bread)。
この中の一曲『On the Low』が映画『sprout』のサントラに使われていたのを見つけて、このアルバムに辿り着いたという次第である。その曲のヴォーカルとメロディーからアルバム全体の構成をダウナーなものと勝手に想像していたのだけれど、その予想をはるかに上回る内容だった。
冒頭に、「ダウナーかポップか」という大雑把なくくりをしたけれど、そんな自分がちょっと恥ずかしくなった。というのも、このアルバムはダウナーであるばかりでなく、ポップの要素も多分に盛り込まれ、それがちょうどいい具合にミックスされている。
両者は同根のニ輪の花であることを見事に証明してくれた。
ゲストも多彩で、私の愛するレーベル、ルーネ・グラモフォン(rune grammofon)からアルバムをリリースしているノルウェーのトランペッター、アルヴェ・ヘンリクセン(arve henriksen)の参加をはじめ、トラッド・フォーク/音響/テクノ系前衛ジャズなどのミュージシャンが集結している。
ライナーノーツによれば、ホープ・サンドヴァルはオスロに自身のスタジオを所有しているらしい。そんなロケーションの効果もこのアルバムには表れているはずだ。
久しぶりにおいしいアルバムを手に入れた。

Mousier Hulot

以前勤めていた会社の上司であるIさんの自邸にお邪魔した。
私が新入社員としてIさんの所属する課に配属されて以来、懇切丁寧に接してくれた心良い上司である。
そんなIさんとは同じ企業人でありながらも、仕事とは離れたところでもどこか同じ嗅覚をもった存在であると感じていたけれど、今回10数年ぶりに再会して、そのことを再認識した。
ふたりの間に通底する感覚。

要約すればこんな感じだろうか。
「男が年をとってゆく上で二つの生き方のうち、どちらかを選ばなくてはいけない。
ひとつは一般的、父親としての生き方。
社会性を保ちながら権威的オヤジとしての象徴だ。
そしてもうひとつが、伯父的生き方。独身者(バチェラー)として生きるそのメンタリティーは、ある種の趣味性に支えられる。
ある種の美意識。ある種の甘えと言ってもいいが、彼等はそのこだわりを増幅させながら、例え、結婚して子を持ったとしても書斎の隅で、あくまでも伯父であり続けようとするのだ。
女性から見てその様は目も当てられない。
「いい年して、そんなグダラナイこと止めなさいヨ」に決まっているのだ。
けれど、彼等からその伯父的部分を奪ってしまったら、すべてのバランスは崩れ、死んでしまう…」
(GAZETTE4『mondo music」アスペクト)

おなじ「伯父的生き方」を選びながらも、Iさんのメンタリティーにはとてもかなわない。
ジャック・タチの映画『ぼくの伯父さん』にたとえれば、Iさんはユロ伯父さんであり、私などは年端もいかない少年ジェラールといったところか。
Iさん、また遊びに行きます。

Hopeful / Hopeless

「歴史には目的がない。
もちろん、人生にも目的なんかありません。
それを作り出してゆくのが、日々の営みだといえるでしょう。
価値観は経験のあとでつけ加えられるものです。
生きたいように生きるのがいいのであって、それをことさらに「虫けらのごとく」などと卑下するのも無用だと思います。
ぼく自身についていえば、ぼくはいつでも病気に取りつかれています。
それは「人類が最後にかかる希望という名の病気」です。」

「キャロル・リード監督の映画『第三の男』の中で、主人公が昇降機から地上を見おろし、「どうだい、人間がアリのように小さく見えるだろう?」というシーンがありました。
「あの中の、君の知らないひとりの人間が死んだら、君に200ドルやるといえば、喜んでもらうかい?」と。
ぼくらは自分の気づかぬところで、他人の犠牲の上に立って生きているのだということもできます。
ひとりの人間が生きるためには万物のどの部分かを殺さなければならぬ、というのが自然の哲理だからです。
だが、あらゆる思想は、その実現のためには人間のエゴイズムを利用しなければならぬ – ということもぼくは知っています。
人間が人間を「救済」できるというのは幻想なのです。
だれかを救うために、ほかのだれかを滅ぼす。
それが、生の営みというものです。
くよくよせずに、自分の「方法」を持つこと。それがいちばん自分に合っている – とぼくは思っています」

寺山修司『寺山修司から高校生へ – 時速100キロの人生相談』

心に残ったので、この二節を書き留めておく。

Loser

ある人から『プロ論。』という本をいただいた。本の扉を開けるまでもなく、「きっといろんな人の成功哲学が披瀝されているんだろうな」と察しがついていたけれども、開けてみてその通りだったのでひとり苦笑してしまった。
心に病をかかえる私にとってこの手の啓蒙書は苦痛以外のなにものでもない。
それでもせっかくいただいた本。予防線を張りながら読んでみることにした。
目次に目を通したところ、ふたつの章が目にとまった。
ひとつは「会社を辞めるべきか迷ったとき」。
もうひとつは「働くことがイヤになったとき」。
ここから読み始めよう。
しかし、残念ながら心に閃光が届くがごとく鋭い洞察はなかなか見当たらない。
あらゆるジャンルからその第一線で活躍する人の成功哲学が書かれているが、大雑把に各論を括れば、「思いっきり楽しめ!死ぬ気で頑張れ!」ということらしい。
そんなこと、今の自分には絶対無理!と思いながら、それでもなんとか読み進んでいくと、あるひとりの哲学者のインタビューに辿り着いた。

「私が不健全だと思うのは、マイナーな部分をすべて消し、表面的にはポジティブな価値観に従っている社会です。
(中略)社会や人生はそもそも理不尽なんです。
不平等で、不公平で、偶然が評価や成功を左右する。
ところがそうした理不尽を押し隠し、画一的に「努力すれば報われる」とか「大企業に入れば沈没しない」とか、そういう幻想をつくりだそうとしていた。
実はみんな、言わないだけで知っているんです。
それが幻想であることを。
能力があるのに評価されなかったり、企業のために才能を殺した人が数多くいた事実を。
私はそうした理不尽を認め、さらにうらんだり、ねたんだりする人間らしさも、きちんと受け入れるべきだと思っています。」

「失敗経験は、人生の免疫となるのです。
失敗したときは、ごまかしたり、なぐさめたりせず、徹底的に失敗を味わい尽くしてください。
どう悪かったのか、何が問題だったのか徹底して自問する。
そんなふうに悶々と苦しみ続ければ、自分の弱点が分かります。
いかにどうしようもない人間かが分かります。
その弱点に気付いたら、今度はそれを伸ばすことです。
弱点は裏を返せばあなたの最大の長所なんです。
過酷かもしれませんが、自らを見つめることが才能を伸ばす一番のヒントなのです。」

中島義道

巷でいう一流企業を辞めて、(失敗して)今の状況に甘んじている私自身のための備忘録として、中島さんの言葉を上記に書き留めておく。

Shigesato Itoi

ずいぶんと前のことになるが、『ほぼ日刊イトイ新聞』にこんなコメントが寄せられていた。

やるべきことをやり、言うべき主張は言い、ひとつの会社で仕事をした後に、「こういうところは、もう変わらないだろう」という結論が出てしまったら、どうするべきか、という話は、優秀な人であろうということがわかるだけに、いろんなことを考えさせられました。似た境遇にいる方も、いそうですよね。
「働く」ということはいろんな事情が絡まるだろうから、気に食わないからすぐにやめるわけにもいかない人がほとんどでしょうし、やめた後になって、むしろ、余計にたいへんなことになったという人だって、多いだろうし……
現実に、社会や会社で主導権を握っている人からしてみれば「弱音」に見えるような、大勢の人が真剣に悩んでいることは、他にも、ごろごろ転がっているのでしょうね。

ドキリとした。私は無名であり、決して優秀な人間ではないけれど、「こういうところは、もう変わらない」という現実にいま直面しているし、さらに「やめた後になって、むしろ、余計にたいへんなことになったという人」である。自分の夢を追いかけたつもりが裏目に出て、とても苦しい状況に陥っている。

Shuji Terayama

『寺山修司から高校生へ – 時速100キロの人生相談』という面白い本を手に入れた。今から数十年前に受験雑誌『高3コース』の誌面を舞台に、当時の現役高校生が質問を投げ、それに受け答えるかけるかたちで寺山さんが毎号登場するというひとつの連載シリーズを一冊の本にまとめたものである。
今となっては、どういう具合にこの本の存在を知ったかなど忘れてしまったけれど、初々しい高校生と絶頂期の寺山さんとがどんな激論をかわしていたのかどうしても知りたくなった。それで、いろんな書店を探し回ったけれども件の本は見当たらず、版元の学研に問い合わせても絶版とのこと。諦めかけていたところに、amazon.co.jpのマーケットプレイスに出品されているのを見つけ喜々として買うことを即決した(実売価格の約4倍だったけれど)。
まだ途中までしか読んでいないけれども、今日帰りの電車の中でこんなやりとりに思わずほくそ笑んでしまった。

高校生からの便り
処女あげます…。だれかもらってくださいナ!こんなもの、大切にとっておいて、いったいどうなるのでしょう。ジャマなものは捨てたほうが気が楽になるんじゃないかしら。

寺山さんの回答
1. いかにくちづけするか。舌の使い方。
2. 下着の美しい脱ぎ方。
3. どのように感情を表現するか、発声練習。
4. きれいにからだを洗うこと。
5. 全部終わったら、お手紙をください。

寺山さん独特の諧謔に満ちた答えに吹き出しそうになった。でも、寺山ダンディズムはこれだけでは終わらないところがまたにくい。
「処女は「ジャマなもの」ではありません。そんなものにこだわっているよりは、早く一人前の女になったほうがいいが、性は楽しむべきものであって、「廃品を捨てる」ように扱うものではありません。」処女を捨てるための「練習」として、上に書いた5ケ条が登場したという次第である。

Peter Granser

ドイツのシュトゥットガルトを拠点に活動している写真家、ピーター・グランサーさん(Peter Granser)の写真集、『CONEY ISLAND』。

かつては、ダイアン・アーバスさん(Diane Arbus)、ウィージーさん(Weegee)、ブルース・ギルデンさん(Bruce Gilden)らも題材としたコニー・アイランド。

コニー・アイランドといえば、戦前に遊園地の王国として栄えた、いわずとしれたニューヨーカーお抱えのビーチリゾート。

ベッヒャー派印象があまりに強いのか、ドイツの写真家といえば、アンダーで硬質な作品を想像しがちですが、ピーター・グランサーさんの写真は、むしろ、アメリカのニューカラーの影響を感じる、色彩豊かで、どこか郷愁感が漂う構成となっています。

夏はこれからですが、もう夏が終わったような、ちょっとメランコリックな気分の写真。

カラリとした作風に好感が持てます。

Stephen Gill

タイトル、『Russian Women Smokers』。

かの有名なベッヒャー夫妻(Becher, Bernd and Hilla)は、給水塔、冷却塔、溶鉱炉、車庫、鉱山の発掘塔などドイツ近代産業の名残が残る、戦前の建築物を被写体にしたタイポロジーを見事に構築しましたが、イギリス・ブリストル生まれの気鋭の若手写真家、スティーブン・ギルさん(Stephen Gill)は、タバコのタイポロジーで魅せます。

セクシャルでデカダンスな重たい空気も、タバコの煙よろしく浮力をもって、ふわっと宙にただよう軽やかさに仕立て上げています。

こういうユーモアとアイロニーの中和作用を学びたいです。

ギルさん自身のウェブサイト、ユニークですよ。

www.stephengill.co.uk