Luchino Visconti

ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)は私が敬愛する映画監督のひとりであるが、つい先日、植草甚一さんのエッセイを読んでいて、彼がイタリアの「貴族」であることを初めて知った。それでふと合点がいったのだけれど、そういう出自というか素地がなければ、あのような退廃の美しさは生まれなかっただろう。『家族の肖像』しかり、『ベニスに死す』しかりである。映像の中に表現される重厚なディテールは彼のように選ばれた者にしか表現しえないものなのだろう。
そんな彼にはルイジとエドゥアルドという兄弟がいるらしい。エドゥアルドは大実業家で、イタリア第二の薬品工場を経営しており、一番うえのルイジは競馬騎手として優勝カップを400個も獲得したというスポーツマンとのことである。これだけでもヨーロッパの名門貴族の生き方が垣間見えて面白い。
こういった恵まれた背景を持ちながら、最晩年まで表現者としてあり続けた彼の精神に私はいたく感銘を受ける。彼とはまったく異なる領域で活躍した音楽家の言葉がいみじくもルキノ・ヴィスコンティの生き方を代弁しているかのようなので最後に引用しておこう。
『音楽会に来る人たちのなかには、そとで食事をするのをひかえたり、ネクタイを買わないで切符を手に入れる人がいるのです。そういう聴衆を満足させるためには、テクニックだけでなく、人間的な楽しみをあたえなければなりません』。
これはジュリアード音楽院で40年もの間、ピアノを教え続けたロジナ・レービン女史の言葉である。

出典:植草甚一スクラップブック『アンクルJの雑学百科』晶文社、p104、p164

Kyrie Kristmanson

このPVいいですよ。キリエ・クリストマンソンさん(Kyrie Kristmanson)。タイトル『Song X』。すっかり見逃してました。もう10ヶ月も前に投稿されていたんですねぇ。。。
慌てて、この曲が収録されているアルバム『ORIGIN OF STARS』を買いました。どうやら国内には在庫がない模様。で、amazon.co.ukで買いました。スタジオ録音ヴァージョンの『Song X』はリヴァーヴを効かせた音作りで高感度大です。
ちなみに、NO FORMATでもスタジオ録音版を視聴できます。
ネット上に日本語の情報があまりないので、不確かなところもありますが、専門筋からの評価も高いようで、今後が多いに期待できる新人さんです。
LISTEN!

Mousier Hulot

以前勤めていた会社の上司であるIさんの自邸にお邪魔した。
私が新入社員としてIさんの所属する課に配属されて以来、懇切丁寧に接してくれた心良い上司である。
そんなIさんとは同じ企業人でありながらも、仕事とは離れたところでもどこか同じ嗅覚をもった存在であると感じていたけれど、今回10数年ぶりに再会して、そのことを再認識した。
ふたりの間に通底する感覚。

要約すればこんな感じだろうか。
「男が年をとってゆく上で二つの生き方のうち、どちらかを選ばなくてはいけない。
ひとつは一般的、父親としての生き方。
社会性を保ちながら権威的オヤジとしての象徴だ。
そしてもうひとつが、伯父的生き方。独身者(バチェラー)として生きるそのメンタリティーは、ある種の趣味性に支えられる。
ある種の美意識。ある種の甘えと言ってもいいが、彼等はそのこだわりを増幅させながら、例え、結婚して子を持ったとしても書斎の隅で、あくまでも伯父であり続けようとするのだ。
女性から見てその様は目も当てられない。
「いい年して、そんなグダラナイこと止めなさいヨ」に決まっているのだ。
けれど、彼等からその伯父的部分を奪ってしまったら、すべてのバランスは崩れ、死んでしまう…」
(GAZETTE4『mondo music」アスペクト)

おなじ「伯父的生き方」を選びながらも、Iさんのメンタリティーにはとてもかなわない。
ジャック・タチの映画『ぼくの伯父さん』にたとえれば、Iさんはユロ伯父さんであり、私などは年端もいかない少年ジェラールといったところか。
Iさん、また遊びに行きます。

Hopeful / Hopeless

「歴史には目的がない。
もちろん、人生にも目的なんかありません。
それを作り出してゆくのが、日々の営みだといえるでしょう。
価値観は経験のあとでつけ加えられるものです。
生きたいように生きるのがいいのであって、それをことさらに「虫けらのごとく」などと卑下するのも無用だと思います。
ぼく自身についていえば、ぼくはいつでも病気に取りつかれています。
それは「人類が最後にかかる希望という名の病気」です。」

「キャロル・リード監督の映画『第三の男』の中で、主人公が昇降機から地上を見おろし、「どうだい、人間がアリのように小さく見えるだろう?」というシーンがありました。
「あの中の、君の知らないひとりの人間が死んだら、君に200ドルやるといえば、喜んでもらうかい?」と。
ぼくらは自分の気づかぬところで、他人の犠牲の上に立って生きているのだということもできます。
ひとりの人間が生きるためには万物のどの部分かを殺さなければならぬ、というのが自然の哲理だからです。
だが、あらゆる思想は、その実現のためには人間のエゴイズムを利用しなければならぬ – ということもぼくは知っています。
人間が人間を「救済」できるというのは幻想なのです。
だれかを救うために、ほかのだれかを滅ぼす。
それが、生の営みというものです。
くよくよせずに、自分の「方法」を持つこと。それがいちばん自分に合っている – とぼくは思っています」

寺山修司『寺山修司から高校生へ – 時速100キロの人生相談』

心に残ったので、この二節を書き留めておく。

Mira Nair

友人のオススメで久しぶりに映画館に足を運びました。

『その名にちなんで』。

異国に来て子供を育てるのに精一杯の親の世代と、アメリカで育ったアメリカ人でありながらも自分のルーツやアイデンティティを模索しなければならない子供たち。

そんな親子がわかりあえなくなったり、分かりあえたり。

「移民がアメリカで苦労しつつも頑張る系ドラマ」といってしまったらちょっと軽率かもしれませんが、シーンのひとつひとつがジーンとくる映画です。

たとえ移民でなくとも、「自分とは?」という問いにぶつかった方であれば、きっと目頭があつくなるはず。

安易なセンチメンタリズムで終わらないところは、原作や脚本、さらには監督によるストーリー・テリングの骨格がしっかりしているからなのでしょう。

処女作『停電の夜に』でピュリッツアー賞を獲得し、華々しく文壇にデビューしたジュンパ・ラヒリさん(Jhumpa Lahiri)による原作。
そして、デビュー作『サラーム・ボンベイ!』でカンヌ映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)に輝いた元女優の実力派監督、ミーラー・ナーイルさん(Mira Nair)。

もうひとり、ニティン・ソーニーさん(Nitin Sawhney)によるサウンドトラックも秀逸です。

アコースティック・ギターのやさしい調べにシタールやサーランギー、サントゥール、バンスリといったインド古典楽器の伸びやかで艶やかな音色が重なったスコアは、ヒーリング・ミュージック的な心地よさを醸し出しています。

インド音楽というと『ムトゥ 踊るマハラジャ』などのシュールでド派手なイメージが強いかもしれませんが、観る者の心にそっと語りかけてくるようなニティン・ソーニーさんの音楽は、どちらかというと瞑想で心のやすらぎを得るヨガの世界観に近いテイストを持っているように感じられます。

あっ、キャスティングもいいですよ。

ていうか、全部いいです。

そして、思いました。

持つべきものは友人だ、と。

Helmut Newton

女性の顔・身体へのフェティッシュなこだわりを貫いた独自のエロティシズム表現で知られる写真家、ヘルムート・ニュートンさん(Helmut Newton)。

豊富なインタビューと作品紹介で、写真界、モード界に大きな足跡を残したニュートンさんの素顔に迫るドキュメンタリー『HELMUT NEWTON – FRAMES FROM THE EDGE』です。

「ヴォーグ」から「ヴァニティ・フェア」といったモード誌から「プレイボーイ」のグラビアまで幅広いメディアで一世を風靡。

ニュートンさんが初めてヌードを撮影した際にモデルをつとめた女優、シャーロット・ランプリングさん(Charlotte Rampling)へのインタビューは見所です。大女優は、演技だけでなく、自ら発する言葉も雄弁であることが如実に分かる貴重な映像です。

カトリーヌ・ドヌーヴさん(Catherine Deneuve)の、スクリーンでは見せない「素」の表情に、ご本人さんもご満悦の撮影秘話もユニークな構成となっています。

ニュートンさんが、なぜイギリス嫌いなのか、なぜプールを撮影の舞台として好むのか、イマジネーション豊かな個性・創作活動の背景が明快に伝わる、ひとりの写真家のアート・ドキュメンタリーです。

R指定(かな?)。

 

Frida Kahlo

フリーダ・カーロさん(Frida Kahlo)。

20世紀前半、モダンアートと急進的な政治の前半において国際的なセンセーションを起こしたメキシコを代表する画家です。

フリーダ・カーロさんの人生は肉体の苦痛との闘いで、6歳の頃に小児麻痺のため右足が不自由になったうえ、17歳で、下校中にバス事故に遭い、脊椎、骨盤、右足の骨折という重症を負いました。

病床で絵を学び、彼女自身をテーマに描いた作品は、アンドレ・ブルトンさん(Andre Breton)らの絶賛を受け、シュールレアリスムにも大きな影響を与えました。

ディエゴ・リベラさん(Diego Rivera)との二度の結婚や、レオン・トロツキーさん(Leon Trotsky)やイサム・ノグチさんとの奔放な恋愛もまた直感的、情熱的なもので、彼女の人物像、作品へさらに強烈な印象を残しました。

激動の人生を送ったフリーダ・カーロさんのフィルム。

ディエゴ・リベラさんとの制作風景をはじめとする本人が映し出された貴重なアーカイヴ映像、教え子などの関係者や研究家のインタビュー、そして豊富な作品資料をもとに構成されています。

病床でも決して絵筆を捨てることのなかった彼女の劇的な47歳の生涯の足跡を辿るアート・ドキュメンタリーです。

Nina Simone

上映時間3時間の奇才デイヴィット・リンチさん(David Lynch)の最新作『インランド・エンパイア(INLAND EMPIRE)』は極秘で撮影がすすめられた、実に5年ぶりの作品です。
ファンとしてはずいぶんと待たされましたが、実際に映画を観た方にとって評価がわかれる、というのが正直なところ。

リンチ作品の常連、ローラ・ダーンさん(Laura Dern)さんが隣人の怪しい老女にコーヒーをすすめ、その老女が呪いをかけたかの如く悪夢世界に突入する…
現実と虚構の世界が交錯し、ダウナー系のドラッグでもやって、バッドトリップしているような感覚におそわれます。

全編を通じて、そのようなトーンなので、さすがに3時間はツライ。

でも、最後に「救い」がありました。
エンディングを飾る、10分22秒の大作、故ニーナ・シモンさん(Nina Simone)の「sinnerman」は最高にクール!

この曲がおさめられているオリジナル・アルバムが、写真の『Pastel Blues』です。
あまたあるシモン(シモーヌと読む説もあります)さんの作品の中でも、両性具有的なヴォーカルにグイグイと引き込まれるこのアルバムは、衝撃的にカッコイイです。

ヤバイ!

Aki Kaurismaki

先日ご紹介したスペインの巨匠、ペドロ・アルモドバル監督(Pedro Almodovar)の三部作(『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』『ボルベール』)が「女性讃歌」とするならば、フィンランドの奇才、アキ・カウリスマキ監督(Aki Kaurismaki)のそれは、「敗者」の三部作(『浮き雲』『過去のない男』『街のあかり』)。

煙草、犬、不幸…。
カウリスマキ節炸裂の三部作は、もはや古典芸能の領域。作家のいとうせいこうさん曰く、「能」のようだと。

スクリーンの四方八方を、たんねんに絶望でぬりこめ、うすぐらい照明のもとでじわりと浮かび上がる原色の舞台セットと、焦点の定まらない役者の視線を毎回のことながら見せつけられ、その度に、「こんな男にはなりたくないなぁ」と思いながらも、なにかアカルい希望みたいなものを灯してくれる映像にずっと引き寄せられてきました。

そんなカウリスマキさんの作品に欠かせない重要な要素に「音楽」があります。
『過去のない男』でクレイジーケンバンドの歌が使われたように、カウリスマキさんの作品で流れる音楽は、骨太でロマンティックで、とにかくカッコイイ。演歌みたいな、歌謡曲みたいな、音源もSPみたいな、日本人には懐かしいサウンド(日本語で歌う「雪の降る街を」が流れたこともあり)で、フィンランド・タンゴのダルさ加減もグッドです。

映画を観るたびに「いいなぁ」と思っていたアキ・セレクトのサントラが、とうとう出ました。しかも2枚組!トータル140分超です。
人生の負けっぷりをするめのように味わえる、ダウナーなひとときを。

かつて、山口昌男さんの二大著書『敗者の精神史』『挫折の昭和史』に痛く感銘を受けた筆者でした。

Penelope Cruz

カンヌ映画祭で出演した6人の女優全員が最優秀女優賞を獲得するという快挙を成し遂げた話題のスペイン映画『ボルベール <帰郷>』。作品としての名声もさることながら、公開にあたって、監督・脚本のペドロ・アルモドバルさん(Pedro Almodovar)の言葉がなければ、劇場に足を運んでいなかったかもしれません。
曰く「芸術家として、ひとりの人間として、自分自身が愛する者たちの死だけでなく、すべての死を受け入れることができず、近年大きな痛みと不安で生きることも辛かった」と。
そんなアルモドバルさんに再び生きる力を蘇らせたのは、自らの創造力の源への<帰郷>。故郷ラ・マンチャを舞台に、何があっても尽きることのない母の愛に見守られて、力強く生き抜く女たちを見事に描き出しました。
いまでは、アルモドバルさんも世界の巨匠、あるいは「いま最も自由で独立した映画監督」という地位を確立していますが、なかなかの苦労人です。
8歳のときに家族とともにスペイン西部に移住し、小学校から高校時代までを過ごします。マドリッドに移り、映画監督を目指すも、当時のフランコ政権下のもと公立の映画学校が閉鎖されるという憂き目に遭い、その代わりに、映画の中身になるもの – 「生きる」ということ – を学ぶことを決意します。12年間、スペイン国営電話会社で秘書として働きながら、本を書き、恋愛をし、パンク・ロック・グループに参加し、伝説的な独立系劇団で演じ、そして8ミリカメラで映画の制作(超低予算、出演者は全員素人!)を始めました。
『神経衰弱ぎりぎりの女たち』、『アタメ』、『キカ』、『オール・アバウト・マイ・マザー』、『トーク・トゥ・ハー』など、一貫した女性に対する独特のまなざしで輝かしい成功をおさめ、現在の圧倒的地位を確立しました。
「生きる」ということのリアリティ、その一方で、先の発言に見られる「死を受け入れることができない」という矛盾。そんな状況を打ち破ったのは、「母」であり「女性」の存在だったのかもしれません。
主演のペネロペ・クルスさん(Penelope Cruz)がいみじくもこう語っています。
「ペドロって、外からのプレッシャーを受ける代わりに、客観的な立場を保ってきたんだと思うわ。プレッシャーはアーティストにダメージを与えるけれど、彼はそれを拒否して、観察者としての立場を保っている。だからこそ彼には、すべての物事のすべての部分がわかっているのよ。女性についてもそうだし、社会的弱者についてもそう。そして人生におけるさまざまなことについても同じね。」

久しぶりに、スクリーンの中のペネロペさんを観ましたが、あいかわらず、ものすごく美しい。絶対に手に入らないと思うほど美しい。そして、あまりにも美しすぎる中にある、男っぽさに惹きこまれます。あの美しさに視覚的に吸い込まれているだけかもしれませんが、そんな男性的な目線を差し引いても美しい。
現代のミューズ。
そんな印象が先行していましたが、今作を通じて、それをはるかに上回る「役者」としての迫力に圧倒されました。アルモドバルさんのペネロペ評が、彼女の役者ぶりを的確に述べています。
「強さを演じるのに必要な圧倒的なエネルギーがあり、その反面、怒りに燃えた一瞬の後に、寄る辺のない子どものように崩れ落ちることができる。女優ペネロペについて私が最も驚いたのは、この儚さの表現だ。たったワンショットの中で、彼女の乾いた威嚇するような目に、突然涙があふれてきて、激流のように流れ出す。あるいは決してこぼれ落ちない程度の涙が、ただ瞳の中に溜まっていく。その様は、最も印象的な光景だったんだ。」

昨今の「泣かせる」映画には興ざめしている私ですが、劇中でペネロペさんが歌うタンゴの名曲『VOLVER』には思わず涙してしまいました。

彼方に見える光のまたたきが
遥かな故郷に私を導く

再び出会うことへの恐れ
忘れたはずの過去が蘇り
私の人生と対峙する

思い出に満ちた多くの夜が
私の夢を紡いでいく
旅人はいくら逃げても
いつか立ち止まる時が来る

たとえ忘却がすべてを打ち砕き
幻想を葬り去ったっとしても
つつましい希望を抱く
それが私に残された心の宝

帰郷(ボルベール)

しわの寄った顔
歳月が積もり銀色に光る眉

感傷

人の命はつかの間の花
20年はほんの一瞬

熱をおびた目で
影の中をさまよいお前を探す

人生

甘美な思い出にすがりつき
再び涙にむせぶ

P.S.
それにしても、しかし、だ。
ペネロペさんの、あの瞳、首筋、肩、胸!
世界の映画界を身渡しても、彼女の胸の谷間は最高だ!