カンヌ映画祭で出演した6人の女優全員が最優秀女優賞を獲得するという快挙を成し遂げた話題のスペイン映画『ボルベール <帰郷>』。作品としての名声もさることながら、公開にあたって、監督・脚本のペドロ・アルモドバルさん(Pedro Almodovar)の言葉がなければ、劇場に足を運んでいなかったかもしれません。
曰く「芸術家として、ひとりの人間として、自分自身が愛する者たちの死だけでなく、すべての死を受け入れることができず、近年大きな痛みと不安で生きることも辛かった」と。
そんなアルモドバルさんに再び生きる力を蘇らせたのは、自らの創造力の源への<帰郷>。故郷ラ・マンチャを舞台に、何があっても尽きることのない母の愛に見守られて、力強く生き抜く女たちを見事に描き出しました。
いまでは、アルモドバルさんも世界の巨匠、あるいは「いま最も自由で独立した映画監督」という地位を確立していますが、なかなかの苦労人です。
8歳のときに家族とともにスペイン西部に移住し、小学校から高校時代までを過ごします。マドリッドに移り、映画監督を目指すも、当時のフランコ政権下のもと公立の映画学校が閉鎖されるという憂き目に遭い、その代わりに、映画の中身になるもの – 「生きる」ということ – を学ぶことを決意します。12年間、スペイン国営電話会社で秘書として働きながら、本を書き、恋愛をし、パンク・ロック・グループに参加し、伝説的な独立系劇団で演じ、そして8ミリカメラで映画の制作(超低予算、出演者は全員素人!)を始めました。
『神経衰弱ぎりぎりの女たち』、『アタメ』、『キカ』、『オール・アバウト・マイ・マザー』、『トーク・トゥ・ハー』など、一貫した女性に対する独特のまなざしで輝かしい成功をおさめ、現在の圧倒的地位を確立しました。
「生きる」ということのリアリティ、その一方で、先の発言に見られる「死を受け入れることができない」という矛盾。そんな状況を打ち破ったのは、「母」であり「女性」の存在だったのかもしれません。
主演のペネロペ・クルスさん(Penelope Cruz)がいみじくもこう語っています。
「ペドロって、外からのプレッシャーを受ける代わりに、客観的な立場を保ってきたんだと思うわ。プレッシャーはアーティストにダメージを与えるけれど、彼はそれを拒否して、観察者としての立場を保っている。だからこそ彼には、すべての物事のすべての部分がわかっているのよ。女性についてもそうだし、社会的弱者についてもそう。そして人生におけるさまざまなことについても同じね。」
久しぶりに、スクリーンの中のペネロペさんを観ましたが、あいかわらず、ものすごく美しい。絶対に手に入らないと思うほど美しい。そして、あまりにも美しすぎる中にある、男っぽさに惹きこまれます。あの美しさに視覚的に吸い込まれているだけかもしれませんが、そんな男性的な目線を差し引いても美しい。
現代のミューズ。
そんな印象が先行していましたが、今作を通じて、それをはるかに上回る「役者」としての迫力に圧倒されました。アルモドバルさんのペネロペ評が、彼女の役者ぶりを的確に述べています。
「強さを演じるのに必要な圧倒的なエネルギーがあり、その反面、怒りに燃えた一瞬の後に、寄る辺のない子どものように崩れ落ちることができる。女優ペネロペについて私が最も驚いたのは、この儚さの表現だ。たったワンショットの中で、彼女の乾いた威嚇するような目に、突然涙があふれてきて、激流のように流れ出す。あるいは決してこぼれ落ちない程度の涙が、ただ瞳の中に溜まっていく。その様は、最も印象的な光景だったんだ。」
昨今の「泣かせる」映画には興ざめしている私ですが、劇中でペネロペさんが歌うタンゴの名曲『VOLVER』には思わず涙してしまいました。
彼方に見える光のまたたきが
遥かな故郷に私を導く
再び出会うことへの恐れ
忘れたはずの過去が蘇り
私の人生と対峙する
思い出に満ちた多くの夜が
私の夢を紡いでいく
旅人はいくら逃げても
いつか立ち止まる時が来る
たとえ忘却がすべてを打ち砕き
幻想を葬り去ったっとしても
つつましい希望を抱く
それが私に残された心の宝
帰郷(ボルベール)
しわの寄った顔
歳月が積もり銀色に光る眉
感傷
人の命はつかの間の花
20年はほんの一瞬
熱をおびた目で
影の中をさまよいお前を探す
人生
甘美な思い出にすがりつき
再び涙にむせぶ
P.S.
それにしても、しかし、だ。
ペネロペさんの、あの瞳、首筋、肩、胸!
世界の映画界を身渡しても、彼女の胸の谷間は最高だ!
RSS feed for comments on this post. / TrackBack URI