Ligia Piro

「音響派」。洋楽ファンの方であれば一度は耳にしたことがあるはずのキーワード。私の場合は、Tortoise(トータス)からはじまって、Jim O’rourke(ジム・オルーク)、The Sea and Cake(ザ・シー・アンド・ケイク)などのいわゆる「シカゴ音響派」あたりからでしょうか。「これが音響派です。」といった明確な定義づけはされていないのですが、『けだるくて、ユルくて、ダークネスで、実験的で、都市的倦怠感のオーラを放っていて、ノイジーとはちょっと違って、そこはかとなく漂う耽美主義的なメロディがメランコリックな気分にさせ、それでいてカッコいい音楽』と自分なりに解釈しています。
そんなピンぼけしたような語りしかできないような「音響派」ビギナーの私ですが、近頃「アルゼンチン音響派」がにわかに脚光を浴びているらしく、あしげくレコードショップに通っていたのですが、ヤバい音源を見つけちゃいました。
神様はときどきいたずらをするようで、抜群の音楽センスと美貌を同時にひとりのアルゼンチン女性に与えてしまったようですLigia Piroさんがその人。「鏡とセックスは忌まわしい。人の数を増やすから。」と言い放ったのは、同郷の小説家・詩人、ホルヘ・ルイス・ボルヘスさんですが、彼女の存在をもってすれば、ボルヘスさんの暴言(?)も吹っ飛んでしまいます。
曲目リストを見ると、ジャズのスタンダードナンバーがズラリと並んでいて(一曲だけスティングさんの名曲『MESSAGE IN A BOTTLE』が入っています)、「あぁ、女性ジャズヴォーカルの新人さんかな…」と思わせるのですが、PLAYボタンを押した瞬間、私のアマ〜い予想はマッスルなバックドロップで粉々になってしまいました。ジャズで、しかもスタンダード、それでいて完璧に「音響派」しちゃってるんですね。
「少し変わってるの、そこらの女とはちょっと違ってるのよね」「その娘は寒くないのかな」「そう、寒さも忘れてたわ」「そいつは矛盾している」「そうね、彼女は自分に閉じこもってたのね」といった冒頭の会話に始まって、二人の会話だけがなんと180ページも続く小説『蜘蛛女のキス』(マヌエル・プイグ←この作家さんもアルゼンチン人)が「とんでもない小説」だとすれば、Ligia Piroさんは「とんでもない音楽」のど真ん中にいるアルゼンチーナです。
スゴイよ、アルゼンチン。サッカーが強くて、文学もずば抜けているけど、「音響派」も負けてないです。


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