Roni Horn

私が作品集をコレクションしているアーティストのひとりにロニ・ホーンさん(Roni Horn)という方がいます。写真を中心に、彫刻やドローイングといったさまざまな領域を縦横無尽にかけめぐる女性作家さんです。

同じ少女の顔写真100枚で構成された『You Are the Weather』やプールの更衣室の風景を魚眼レンズで撮りためた『Her, Her, Her And Her』はオススメです。

視線がやわらかい作家さんです。淡い色の万華鏡をのぞいているような感覚といったらよいでしょうか、ホーンさんの作品集を眺めていると、ゆったりと変化する空のヴェールにつつまれたような錯覚にとらわれるのは私だけではないでしょう。

そんなホーンさんの最新作が到着しました。

『Herðubreið(ヘルズブレイズ)』。

ヘルズブレイズとは、アイスランドの山々の女王と称される標高1,682メートルの典型的な卓上山です。
すでに故人となられた同国の愛すべき画家さん、STOVALことステファン・ヨンソンさん(Stefan V. Jonsson)が生涯を通じて描いた火山、ヘルズブレイズが飾られたさまざまな部屋を収めています。

ヨンソンさんのやさしい作風と、ホーンさんのやわらかい眼差しが上手い具合にミックスされています。

軍隊の無い国、アイスランド。
ファミリーネームが無い国、アイスランド。

平和のあり方と、そこに暮らす日々の営みが絵画と写真というメディアを通じてじんわりと伝わってくる良書です。

Man Ray

マン・レイさん(Man Ray)。
本名、エマニュエル・ラドニツキーさん(Emmanuel Radnizky)。

写真家としての存在があまりにも大きく、その他の活動についてはついつい影に隠れがちですが、その多才ぶりは、同時代を生きたピカソさんやコルビュジェさんにも匹敵するのではないかと思います。

画家。彫刻家。映画監督。ダダイストまたはシュルレアリスト。いわゆるファッション・フォトの生みの親。数えあげればきりがありません。

作品の膨大さに隠れ、マン・レイさんご本人の姿はなかなかお目にかかれませんが、「作家の現場」を知りたいという欲求が強いのか、とある洋古書店でとうとう運命的な出会いをしてしまいました。

晩年のマン・レイさんのアトリエで撮影された写真集(1975年出版)。

黒メガネの男性がご本人さんです。
マン・レイさんの作家性を代弁するかのような、空間の構成がたいへん興味深い内容となっています。
200ページを超える「天才の現場」。

筆者、大満足です!

Matthias Hoch

建築を被写体にする写真家、マティアス・ホッヒさん(Matthias Hoch)

このひとの撮る写真は、ほんとうに美しい。

ため息。

それしかでない。

Lena Herzog

『FLAMENCO DANCE CLASS』。
フラメンコのダンスクラスの一日を時間軸に沿って映しとった小さな小さなモノクロームの写真集です。日本で言うところの、ちょうど文庫本サイズといったところでしょうか。

にもかかわらず、映しとられたダンサーの動きは、限られた誌面サイズからはみ出てしまうほど、躍動感にあふれています。
写真家は、Lena Herzogさん。サント・ペテルブルク大学で言語学を学び、スタンフォード大学で考古学を、名門ミルズ・カレッジでは哲学の学士号を取得し、さらには、ロシア語、英語、スペイン語、フランス語の四カ国語をあやつる才媛です。

そんな、Herzogさん。写真は「独学」だとか。

彼女のサイト(www.lenaherzog.com)で、「独学」写真のアーカイブを拝見することができますが、先の言語学や考古学にしっかりと裏打ちされた骨太の写真が堪能できるはずです。

『FLAMENCO DANCE CLASS』が興味深いのは、写真集としてすでに成立しているだけでなく、それらとシンクロナイズするように、ダンサー自身が語る言葉が随所にちりばめられているところ。
ひとりのダンサーの言葉が印象に残りました。

I am more Gypsy than the ribs of the Pharaoh.
『ファラオの妻であるよりも、私はジプシーでありたい。』(筆者拙訳)

強い写真家と、強いダンサー。
小振りな体裁に似合わず、「強い」写真集です。

Alex Katz

私のお気に入りの画家、アレックス・カッツさん(Alex Katz)。1927年、ニューヨーク、ブルックリン生まれ。
ポップアートの流れを汲みつつも、具象と抽象の中間の「あまくてやわらかい」ドローイングはカッツさんならでは。
中でもオススメは、『ALEX KATZ – PENOBSCOT BAY』。
パリとザルツブルグに拠点を置くギャラリー、Galerie Thaddaeus Ropacから出版されたこの一冊は、「海」をモチーフにした作品にフォーカスをあてたもの。一度は訪れてみたいGalerie Thaddaeus Ropac。さすが、キュレーターさんの目のつけどころが違います。
夏はまだこれからですが、この一冊で、サマー・バカンス満喫な気分にさせてくれます。

Giorgio Morandi

もしも、生まれかわれるとしたら画家になりたい。
そして、もしも幸運にも自分のアトリエも持てるとしたならば、こんなアトリエが欲しい。

そう思わせる一冊。タイトル、『Atelier Morandi』。

イタリアのボローニャ出身の画家、ジョルジオ・モランディさん(Giorgio Morandi)のアトリエの風景を同じくイタリアの写真家ルイジ・ギリさん(Luigi Ghirri)が撮影したものです。
モランディさんという画家は、「瓶と椀」をモチーフにした静物画をひらすらを描き続けた、ある意味「偏執狂的な」作家さんです。
アートという名を借りたコマーシャリズム、あるいは時流とのシンクロ・時代性といったものから一定の距離を置き、独自の姿勢をつらぬいたひとりの画家の(命をかけた)ライフスタイルが映し出されています。
サイレントで、ミニマルでありながらも、使い込まれた画材は、たとえそれが静物画であっても、そこにに生命が宿る孤独な画家の奥義を垣間みるようです。

ひそかなロングセラー、『Atelier Morandi』。
ソフトカバー、カラー図版、イタリア語・フランス語。Palomar Editore刊。

Paolo Canevari

アーティスト:Paolo Canevari, Italy
タイトル:LANDSCAPE
出版社:ONESTAR PRESS, France

タイヤの痕跡、ただそれだけが収められた写真集。
ブループリントのような粗い画像、123点。
トラックが過ぎ去った後に唯一残された「記憶」の集積。

どんな旅にもサヨナラが訪れるように、このトラックの痕跡を繰り返し眺めていると、なんだか、もの悲しい気持ちになってきます。
『ランドスケープ』というタイトルが持つ、言葉のスケール感。
一方で、SADで、DEPRESSEDな気分にさせる数々の写真。
「悲しみ」という感情と、「優しさ」というメンタリティは互いに同じ住処(すみか)にあることを静かに教えてくれる好作品です。

限定250部。

Yoji Arakawa + Kazunari Hattori

もう二年以上も前に買ったまま、そのまま読まずにいた本『ラブシーンの言葉(四月社)』です。
筆者は、現代詩の代表格のひとり、荒川洋治さん。
吉本隆明さんをして、「この詩人は多分若い現代詩の暗喩の意味をかえた最初の、最大の詩人である」と言わせしめ、さらには、詩集『心理』で萩原朔太郎章を受賞した「通(つう)」にも大衆にも迎え入れられる詩人。
ときに難解な、ときに極めて日常的な、その振れ幅の大きさにとまどいつつも、「荒川ワールド」は、つねに私を魅了して止みません。

さて、冒頭の『ラブシーンの言葉』。なぜ読まずに放置していたか。理由は極めて単純です。
赤面してしまうのです。
決して、スノッブなカフェでは読めないでしょう(ル○アールあたりが意外と相性いいかも??)。
そう、エロ満載(!)なのです。

あとがきの中で、荒川さん自身がこう述べています。
「ふだん静かな人も、性愛の場面では燃える。男であり女であるときの、口もとからもれる言葉は熱く、冷たく、香り高く、めずらしい。そして神秘的。心身をこえ、はるかなものにつながる空気もある。」

帯に示されたこの言葉だけを拾えば、性のいとなみをおおらかに肯定する語り口、清々しい視点を想像しますが、あにはからんや、いざ本文をめくり始めると、そこには、性器の用語とか、擬音語とか、盛り沢山。
ツユダク、アセダクです。

モラヴィアから団鬼六までという間口の広さは、いかにも荒川さんらしい…。が、いかんせん、官能小説やポルノにおける性の表現がなんのフィルターもかけずに飛び出してくる様(さま)を目のあたりにすると、恥ずかしくなってきます。

しかし、私は読み切りました。
振り返ってみれば、むしろ楽しい読書体験として締めくくることができるのではないかと。
というわけで、わたしは、まだ「枯れて」いないです、たぶん。

そして、ますます、荒川さんが好きになりました。

P.S.
『ラブシーンの言葉』の装丁、すてきです。
どこを見てもクレジットが記載されていなかったので、発行元である四月社さんに問い合わせました。で、わかりました。
服部一成さんがその人。

略歴
1964年東京生まれ。1988年東京芸術大学美術学部デザイン科卒、ライトパブリシテイ入社。2001年よりフリーランスのアートディレクター、グラフィックデザイナーとして活動。

主な仕事
キユーピー「キユーピーハーフ」(1997-)「クリーミィクリーミィ」(2006)、アイムス「ユーカヌバ」(2005-)、キリン「淡麗グリーンラベル」(2002-2005)、パルコ「GIFT DAYS」(2003)、ホンダ「MOBILIO」(2001-2002)、JR東日本「トレイング」(1998-2000)、キリンビバレッジ「にごり果実」(2001)、J-PHONE(1997-1999)、オンワード「組曲」(2000-2001)などの広告キャンペーンのアートディレクション。
「流行通信」誌リニューアル(2002-2004)のアートディレクション、ロゴデザイン。
森美術館「ビル・ヴィオラ展」(2006)、東京国立近代美術館「ドイツ写真の現在」展 (2005)、横浜美術館「中平卓馬展」(2003)「JEAN-MARC BUSTAMANTE展」(2002)、川村記念美術館「ハンス・アルプ展」(2005)「アレキサンダー・カルダー展」(2001)などのグラフィックデザイン。
大塚製薬「ポカリスエット・地球ボトル」(2004)「ポカリスエットステビア」(1997、2001)などのパッケージデザイン。
旺文社「プチロワイヤル仏和辞典」(1996、2002)「LEXIS英和辞典」(2003、2005)、ホンマタカシ写真集「きわめてよいふうけい」(2004/リトルモア)「STARS AND STRIPES」(2001/マガジンハウス)、林央子「here and there vol.1-6」(2002-)、荒川洋治「ラブシーンの言葉」「文芸時評という感想」(2005/四月社)などのブックデザイン。
くるり「NIKKI」「ベスト・オブ・くるり」(2005、2006/ビクターエンタテインメント)などのCDジャケットデザイン。
エルメスジャポン渋谷東急本店のウィンドウディスプレイデザイン(2006)。

受賞
東京ADC賞(1999、2000、2001)、東京ADC会員賞(2003、2005)、東京TDC会員賞(2004、2006)、第6回亀倉雄策賞(2004)、原弘賞(2005、2006)、日本グラフィックデザイナー協会新人賞(2000)、ほか。

納得のキャリアです。

Shingo Wakagi

2001年。

近くて遠い、遠くて近い、ひとつの時代でした。

さかのぼること1968年、アポロ11号が月面着陸を果たす前年、スタンリー・キューブリックさんは『2001年宇宙の旅』という映像の舞台において、ヒトザルが動物の骨を「道具(または武器)」として使う事を覚えた瞬間を『ツァラトゥストラはかく語りき』とともに象徴的に描き、ボーマン船長は人工知能HALの思考部を停止させ、巨大なモノリスとの出合いを経て、人類より進化した存在・スターチャイルドの誕生を予告しました。

『時として現実は想像を超える』

こう語ったのは、サッカー・ブラジル代表、ロナウジーニョさんですが、2001年は、「現実 > 想像」という図式をはからずも証明した(してしまった)時代でした。

イラク空爆、「9.11」、アフガン戦争…。

米マイクロソフト、Windows XP 公開。米アップル、Mac OS X 公開。iPod発表。
すべて2001年の出来事です。

同じ年、私は一冊の写真集『Photographs』を手にしました。
特別な空気が流れていた時代に「ありふれたもの」を被写体にしたその小さな私家版は、逆説的に「特別なもの」として、私の手元にずっと残ることになりました。
振り返ってみれば、同郷の現代写真家・若木信吾さんの原点ともいえる作品集です。
スタンリー・キューブリックさんの映像詩のプロローグが「道具」であったことと符合するかのように、若木さんのそれも「道具」でした。
祖父の畑仕事のための「道具」。
それが、『Photographs』のすべてです。

「あとがき」の中で、若木さんはこう述べています。

今年91歳になる祖父は、必要な道具すべてを彼自身の手で改良し、生み出してきた。もちろん市販のものがベースになってはいるが、市販品は彼のからだや環境にあったものではないので作るほかないのである。
やりたい仕事を無理せず続けていくには自分で環境を整えていくしかない。
量産されたプロダクトにデザインされている現代の生活の中で、祖父は重たいものをもてなくなったからといってやりたいことをやめるのではなく、軽いものを作ってそれをするという行動に出た。
限りなく溢れかえる情報やものの中で、祖父は彼自身が中心の世界を持っている。
これらの道具は祖父の世界を作るのに重要な役割を果たしている。

こんな言葉を思い浮かべます。
「いかなる職業でも自分が支配するかぎり愉快であり、服従するかぎり不愉快である」(アラン『幸福論』より)

「新しいもの」とインターネット。
その境界にアクチュアルな現場を持つ私のデスクに、『Photographs』が常に傍らにあるという事実(!)
アランの言うところの職業というものについて、なにかしらの手がかりがある(!)
… そういう思いというか、内なる自我が自然と『Photographs』と私を結びつけているのだと思います。

P.S.
映画『ブレードランナー』、2017年のロサンゼルス。
酸性雨で空が見えなくても、
知的で美しいレプリカントが登場しても、
私は、
愉快に、
自らの「道具」を、
作っていたいのヨ。

Naoya Hatakeyama

以前、私の好きな女性写真家さんの名前をあげましたが、かたや男性写真家さんとして真っ先にあげたいひとりに畠山直哉さんという方がいらっしゃいます。
今からさかのぼること10年ほど前、偶然出会った畠山さんの処女作『LIME WORKS』には、これまでにない衝撃を受けました。
日本国内に散在する石灰石鉱山と、石灰工場及びセメント工場の姿をとらえた写真集です。
無機的な蒼い風景からこぼれるオレンジ色の明かりのコントラストが冴え冴えしい美しさを醸し出していました。ハマリました。
同年の「第22回木村伊兵衛写真賞」受賞の知らせを耳にしたときには、「あぁ、あの時の自分の選球眼は正しかったんだ」とちょっと嬉しくなりました。今では稀少本で、amazon.co.jpのマーケットプレイスでも30,000円を超える高値がついています。
畠山さんは、その後も、日本各地を回り石灰石鉱山の現場や石灰工場、発破(はっぱ)の瞬間、または都会の建築群や地下水路など、多様な光景を被写体に写真活動をつづけます。
これらの作品は都市の原料(石灰岩、工場)から都市風景(高所から見た都市の俯瞰)、都市の解体(住宅展示場と化した大阪球場とその解体)、都市の裏側(ビルの間を流れる渋谷川や、都市の地下水路の内部)など、一貫して都市の問題にかかわっています。
2006年、タカ・イシイギャラリー(www.takaishiigallery.com)さんから、畠山さんの最新作品集『A BIRD BLAST#130』が出版されました。
石灰石鉱山の発破の瞬間を、カメラを遠隔操作することによってとらえた「人工の衝撃」。ダイナミックな構図のはるか向こうに空高く飛び交う、その存在さえもあやうい一羽の「鳥の影」。見事です。
限定1,000部。