Shingo Wakagi

2001年。

近くて遠い、遠くて近い、ひとつの時代でした。

さかのぼること1968年、アポロ11号が月面着陸を果たす前年、スタンリー・キューブリックさんは『2001年宇宙の旅』という映像の舞台において、ヒトザルが動物の骨を「道具(または武器)」として使う事を覚えた瞬間を『ツァラトゥストラはかく語りき』とともに象徴的に描き、ボーマン船長は人工知能HALの思考部を停止させ、巨大なモノリスとの出合いを経て、人類より進化した存在・スターチャイルドの誕生を予告しました。

『時として現実は想像を超える』

こう語ったのは、サッカー・ブラジル代表、ロナウジーニョさんですが、2001年は、「現実 > 想像」という図式をはからずも証明した(してしまった)時代でした。

イラク空爆、「9.11」、アフガン戦争…。

米マイクロソフト、Windows XP 公開。米アップル、Mac OS X 公開。iPod発表。
すべて2001年の出来事です。

同じ年、私は一冊の写真集『Photographs』を手にしました。
特別な空気が流れていた時代に「ありふれたもの」を被写体にしたその小さな私家版は、逆説的に「特別なもの」として、私の手元にずっと残ることになりました。
振り返ってみれば、同郷の現代写真家・若木信吾さんの原点ともいえる作品集です。
スタンリー・キューブリックさんの映像詩のプロローグが「道具」であったことと符合するかのように、若木さんのそれも「道具」でした。
祖父の畑仕事のための「道具」。
それが、『Photographs』のすべてです。

「あとがき」の中で、若木さんはこう述べています。

今年91歳になる祖父は、必要な道具すべてを彼自身の手で改良し、生み出してきた。もちろん市販のものがベースになってはいるが、市販品は彼のからだや環境にあったものではないので作るほかないのである。
やりたい仕事を無理せず続けていくには自分で環境を整えていくしかない。
量産されたプロダクトにデザインされている現代の生活の中で、祖父は重たいものをもてなくなったからといってやりたいことをやめるのではなく、軽いものを作ってそれをするという行動に出た。
限りなく溢れかえる情報やものの中で、祖父は彼自身が中心の世界を持っている。
これらの道具は祖父の世界を作るのに重要な役割を果たしている。

こんな言葉を思い浮かべます。
「いかなる職業でも自分が支配するかぎり愉快であり、服従するかぎり不愉快である」(アラン『幸福論』より)

「新しいもの」とインターネット。
その境界にアクチュアルな現場を持つ私のデスクに、『Photographs』が常に傍らにあるという事実(!)
アランの言うところの職業というものについて、なにかしらの手がかりがある(!)
… そういう思いというか、内なる自我が自然と『Photographs』と私を結びつけているのだと思います。

P.S.
映画『ブレードランナー』、2017年のロサンゼルス。
酸性雨で空が見えなくても、
知的で美しいレプリカントが登場しても、
私は、
愉快に、
自らの「道具」を、
作っていたいのヨ。


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