Peter Granser

ドイツのシュトゥットガルトを拠点に活動している写真家、ピーター・グランサーさん(Peter Granser)の写真集、『CONEY ISLAND』。

かつては、ダイアン・アーバスさん(Diane Arbus)、ウィージーさん(Weegee)、ブルース・ギルデンさん(Bruce Gilden)らも題材としたコニー・アイランド。

コニー・アイランドといえば、戦前に遊園地の王国として栄えた、いわずとしれたニューヨーカーお抱えのビーチリゾート。

ベッヒャー派印象があまりに強いのか、ドイツの写真家といえば、アンダーで硬質な作品を想像しがちですが、ピーター・グランサーさんの写真は、むしろ、アメリカのニューカラーの影響を感じる、色彩豊かで、どこか郷愁感が漂う構成となっています。

夏はこれからですが、もう夏が終わったような、ちょっとメランコリックな気分の写真。

カラリとした作風に好感が持てます。

Stephen Gill

タイトル、『Russian Women Smokers』。

かの有名なベッヒャー夫妻(Becher, Bernd and Hilla)は、給水塔、冷却塔、溶鉱炉、車庫、鉱山の発掘塔などドイツ近代産業の名残が残る、戦前の建築物を被写体にしたタイポロジーを見事に構築しましたが、イギリス・ブリストル生まれの気鋭の若手写真家、スティーブン・ギルさん(Stephen Gill)は、タバコのタイポロジーで魅せます。

セクシャルでデカダンスな重たい空気も、タバコの煙よろしく浮力をもって、ふわっと宙にただよう軽やかさに仕立て上げています。

こういうユーモアとアイロニーの中和作用を学びたいです。

ギルさん自身のウェブサイト、ユニークですよ。

www.stephengill.co.uk

Richard Misrach

世界でもっとも美しい人工物のひとつ、サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジ。

不毛の地だったカリフォルニアとアリゾナの砂漠が文明化したことで環境が激変しているさまざまなシーンをクールかつ美しく被写体に収めた代表作『Desert Cantos』で、写真家としての不動の地位を確立したリチャード・ミズラックさん(Richard Misrach)の『Golden Gate』です。

季節や気候、あるいは時間によってさまざまな表情を見せるゴールデン・ゲート・ブリッジの定点観測。

風景と人工物とのバランス、そのすくいとり方が絶妙です。

ミズラックさんは、90年代後半、この撮影のためにサンフランシスコ湾が見渡せる北カリフォルニアのバークレーヒルズに移り住みました。

なんてステキなランドスケープだろう。

そして、なんてステキな住処だろう。

Michael Wesley

ちょっと遡りますが、2004年11月、MoMA(ニューヨーク近代美術館)の新館が完成、お披露目となりましたね。

ご存知の方も多いかと思いますが、設計は日本人建築家、谷口吉生さん。

1935年に開館したMoMAは、フィリップ・ジョンソンさん(Philip Johnson)が1964年に東翼、シーザー・ペリさん(Cesar Pelli)が84年にガーデン翼を手がけています。

97年に行なわれた建築家10人によるコンペを谷口吉生さんが見事に勝ち取り、足掛け7年のロングプロジェクトになりました。

その長い建築のプロセスを克明に記録したドイツ人写真家、マイケル・ウェズレーさん(Michael Wesley)。

2001年8月、ウェズレーさんはMoMAの大がかりな建築&改築プロジェクトの光景を映し出すための場所を選び、MoMAの内部と周辺の数箇所に特殊設計のカメラを設置。

約3年後 (3秒でもなく、3週間でもなく、3ヶ月でもなく、3年ものあいだ!)に露出を終えた写真は、偶然がなし得る美しさに満ち満ちており、空間の濃淡を微妙な網目として描き出しています。

最後の頁のセントラルパークに降り注ぐ光の矢は圧巻です。

作品集『Open Shutter』には写真部門のアソシエイトキュレーターであるサラ・ハーマンソン・マイスターさん(Sarah Hermanson Meister)が構成した図解も収録されており、ウェズレーさんの作品と見事にシンクロしています。

必見!

Lee Friedlander

コンポラ写真の代表格、リー・フリードランダーさん(Lee Friedlander)の作品集『Self Portrait』から。

自身の「影」をセルフポートレートに見立てた写真。

お茶目なのか、真面目なのか、偶然なのか、狙ったのか…。

それにしても、上手すぎる。

ゾクッとくる「影」がページをめくるたびに次々と現れてきます。

気負わないスタイルは、真似しようとしても、フリードランダーさんのオリジナリティあふれる世界の牙城は崩せないでしょう。

一昨年、MoMA(ニューヨーク近代美術館)でも大回顧展が開かれたとの由。

ぜひとも、日本にも巡回してほしい作家さんです。

Akiyuki Nosaka

脳梗塞で倒れて以来、久しぶりに野坂昭如さんのお姿を拝見しました。

タイトル。『野荒れ / ノアーレ』。

言葉。野坂昭如さん。

写真。荒木経惟さん。

画。黒田柾太郎さん。

野坂さんが、ぽつりぽつりと小さな言葉をつづります。

ぼくのちんぽ人生は

終わらない

ぼくが女を抱くかぎり

ぼくのちんぽ人生は

終わらない

黒田さんが、回想します。

色々なことがあった。

頭に来たことが一千回。

なるほどと思ったことが一千回。

うそ!と思ったことが一千回。

やっぱりホンマやった。と思ったことが一千百回。

荒木さんがダメだし。

ちがうねー。

立ってられるんならそれやろうかなー。

野坂さんも、荒木さんも、黒田さんも、みな最前線で「戦闘」してる。

あきらめないことって、とても大切なことかもしれない…。

そう気付かせてくれる、「戦闘」のルポルタージュです。

Bettina von Zwehl

71年、ミュンヘン生まれ。

ロンドン在住の女性写真家、Bettina von Zwehlさんの作品集です。

全ページ、ポートレイトです。

潔いほどに、無駄を排した構図は、「人間の顔の骨格ってこんなだったんだ」とあらためて気付かされます。

大人へと成長するにつれ、微妙に変化する表情・骨格は、「顔」の定点観測。

思えば、中世の修道士を描いた精緻な肖像画にも、こんな横顔の構図が多く見受けられましたね。

写真というものは「サイエンス」であるけれども、ひとつの「美学」であることも、しとやかに教えてくれる極めてすぐれたアーティストさんです。

Olaf Otto Becker

休日に写真集をいろいろと見て廻りました。

気のせいかもしれませんが、「白い風景」の写真集が目につきました。

鈴木理策さんの『熊野、雪、桜』。
鈴木さんの故郷である熊野を題材にした作品集です。純白の雪景色の中に木々がわずかにのぞいています。
まるで自分が雪山の小径を歩いているような錯覚。
手前の大きくぼけた花のすき間にくっきりと桜の遠景が見える、独特のディテールと没入感に、鈴木さん独自の視点が垣間見えます。

もうひとつは、石川直樹さんの『POLAR(ポーラー)』。
2006年に三木淳賞、さがみはら写真新人奨励賞を同時受賞し写真家としての活動が注目される彼が、10年にわたって断続的に旅してきた北極圏。
圧倒的な氷の山脈、最果ての港に営まれる生活、小さな村での動物との暮らし、進む温暖化の現実…。
一般的に抱かれる北極の真っ白な世界のイメージを覆す、ありのままの北極の風景。
そこに住む人々の日々の営みが美しくとらえられています。

そんな中で、私のイチオシは、オラフ・オットー・ベッカーさん(Olaf Otto Becker)の『BROKEN LINE』(Hatje Cantz刊)。
カメラとともに、GPSを携えて、いざ、グリーンランドの地へ。
氷のフィヨルド、破壊された幾何学。
先の日本人写真家の「白」が「軟」とすれば、ベッカーさんのそれは「硬」。
写真の質感そのものが硬質であるだけでなく、氷の大地のなかに、いかに地球の原初というものがかたくなに残されているか、GPSの精緻なデータとともに魂の奥底に冷たく響いてきます。

Helmut Newton

女性の顔・身体へのフェティッシュなこだわりを貫いた独自のエロティシズム表現で知られる写真家、ヘルムート・ニュートンさん(Helmut Newton)。

豊富なインタビューと作品紹介で、写真界、モード界に大きな足跡を残したニュートンさんの素顔に迫るドキュメンタリー『HELMUT NEWTON – FRAMES FROM THE EDGE』です。

「ヴォーグ」から「ヴァニティ・フェア」といったモード誌から「プレイボーイ」のグラビアまで幅広いメディアで一世を風靡。

ニュートンさんが初めてヌードを撮影した際にモデルをつとめた女優、シャーロット・ランプリングさん(Charlotte Rampling)へのインタビューは見所です。大女優は、演技だけでなく、自ら発する言葉も雄弁であることが如実に分かる貴重な映像です。

カトリーヌ・ドヌーヴさん(Catherine Deneuve)の、スクリーンでは見せない「素」の表情に、ご本人さんもご満悦の撮影秘話もユニークな構成となっています。

ニュートンさんが、なぜイギリス嫌いなのか、なぜプールを撮影の舞台として好むのか、イマジネーション豊かな個性・創作活動の背景が明快に伝わる、ひとりの写真家のアート・ドキュメンタリーです。

R指定(かな?)。

 

Taki Koji

多木浩二さん。

その才能は、あまたある日本の日本の思想家、批評家のなかで、ずば抜けているのではないかと思います。

硬質な文体でありながらも、対象に向けた流麗な視線は他と一線を画しているのではないでしょうか。

無名・著名、新人・ヴェテランまで、多木さんに批評の対象とされれば、作家としてまさに「本望」です。

難解な言葉や、意味不明な隠喩で読者をけむに巻く現代思想のなかで、「ストレート・フォト」ならぬ首尾一貫した「ストレート・哲学」は批評という領域において、極めて異質な(本来ならば、これが本質であってほしいと思いますが…)ポジションを獲得しています。

多木さんの代表作『写真論集成』から引用します。

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私がマン・レイの写真に興味を抱きはじめたのは、有名なレイヨグラフやソラリゼーションからではなかった。勿論、マン・レイを理解しようとすれば、これらを除いては考えられないし、そこにマン・レイの芸術の秘密がかくれているのも事実だろう。しかしそのレイヨグラフやソラリゼーションが現在もなお魅力をもちつづけているかといえばそうではない。技法としてみればそれはもはや陳腐である。ところが、マン・レイのいわばストレートな「写真」は、現在でも素直に新鮮なものとして受け取れる。この事実は前衛の美術と写真表現の差異を物語っているようで興味深い。
(中略)
ストレートな写真のなかで、数も多く、写真家としての才能を充分に発揮しているのは友人たちのポートレイトである。かれの仲間のダダイスト、シュルレアリストたちはいうまでもないが、ピカソ、ブラック、コクトーなど、当時のパリの芸術家たちの容貌が写真に残されることになった。これらの写真は、ためらいもなく明快で、さり気なく見える。
(中略)
マン・レイのポートレイトを写真史上で評価すれば、十九世紀のナダールと並ぶものと私は考えている。もちろんナダールの方は根っからの職業写真家だった。しかし同時代の生き生きとした芸術家の肖像を残したこと、たんなるポートレイトという以上の意味に達していたことはよく似ている。そのナダールに較べると、マン・レイの方がはるかに自在であり、想像力の自由さがあり、技巧的でもある。滑稽なまでの気取屋でふざけているように思われかねないダリは、本当は知性的な人間でもあった。マン・レイはそれを見逃してはいなかった。
(以下、略)

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多木さんの冷徹かつあたたかい眼差しの一端を読み取っていただければ幸いです。