Todd Hannigan

ジャック・ジョンソン(jack johnson)がまだ無名だった頃に制作したインディペンデント・ムービー『Thicker Than Water』のタイトル曲をうたっているシンガーソングライター、トッド・ハニガン(todd hannigan)のアルバム『Volume 1』がようやく手に入りました。タワレコにもamazon.co.jpにも取り扱いがなかったので、amazon.comから購入しました(日本でもまだ手にしている人は少ないだろうなぁ…)。

彼自身が弾くギターは極めてシンプルな音作りに徹しているけれども、その一方でバックのアレンジはなかなかに工夫が凝らされており、ときにサイケデリックな雰囲気をも醸し出しています。抑揚をきかせたダウナーな声がそれらの音に重なり、彼独特のサウンドスケープを作り出しています。

自身のサイト(www.toddhannigan.com)を見ると、オーストラリア、インドネシア、エクアドル、アフリカなどの海岸線を旅しながら渡り歩いた経験をもっているとか。こういった多様な文化圏を横断してきたことはきっと彼の音作りに影響しているにちがいない。

聴く度に新しい発見があるアルバムというのは滅多にないけれども、そういう意味で『Volume 1』は希有な存在です。

日本でもっと積極的に紹介されてもいいアーティスト、そう思わせる一枚です。

Kora Jazz Trio

『いまジャズで最も面白いのがワールド・ミュージックの要素を取り入れたものだと、以前から感じていたのですが、アフリカ人独自の発想によるジャズがこのグループで新たに誕生。前作から大きく前進したこの新作は愛聴盤です。』
ピーター・バラカン

ピーター・バラカンさんにこう言わせしめたのは、オール・ネイティブ・アフリカンのトリオ、「KORA JAZZ TRIO」の2枚目のアルバム『PART TWO』です。
ピアノとパーカッションによるジャズ・サウンドに、西アフリカ伝統の弦楽器(コラ)のキラリと光る音色を乗せた、シンプルながら斬新な演奏を聴かせるジャズ・トリオ。
60分を超える長尺ながら、一向に飽きさせないサウンドは久々に私を満足させてくれました。ピーター・バラカンさんのサウンドに対する選球眼は私の好みに非常に良く合います。今回も見事にそれを証明してくれました。
私にとってもこのアルバムは愛聴盤になりそうです。
ピーター・バラカンさん、ありがとう。

Thomas Demenga

NIPPONの住宅事情にはつらいチェロですが、その楽器がもつ音の深みというものに私は惹かれます。中でも、スイス生まれのチェロ奏者であり作曲家でもあるトーマス・デメンガさん(Thomas Demenga)は私のフェイバリットです。ミュンヘンのジャズレーベルECMを中心に、毎回意欲的な作品をリリースしています。同レーベルの主宰者、マンフレッド・アイヒャーさん(Manfred Eicher)との相性もばっちりなようで、あるときはリーダーとして、あるときはサイドマンとして刺激的なアルバムを発表しています。活動の幅はジャズに限らず、実験性に富んだ現代音楽や新しい解釈によるクラシック(バッハが主体です)までその領域を広げています。
中国の女性詩人である張卿さん(Tschin Zhang)の中国語による朗読が重奏されたハインツ・レーバーさん(Heinz Reber)との共作アルバム「MNAOMAI, MNOMAI」は特におすすめです。その詩は、1989年の中国民主化運動の終焉となった天安門事件をもとに書かれたものといわれていますが、政治的なメッセージというよりはむしろ音楽を形成する響きのエッセンスのひとつのように思えます。中国語独特の鋭い歯擦音と一定の抑揚された響きによって、聴き手に対して心理的に大きな意味をもたらしているといえるかもしれません。この手の作品にありがちな、いかにも、というわざとらしさは全く無く、作品の中でちゃんとした「居場所」を確保しています。
こんな調子なので、デメンガさんのつむぎだす音は、メロディというよりは音の連なりに近い複雑精緻なサウンド、いわば「音のブリコラージュ」といった風体です。難解かもしれません。でも、しっかり「ゲージュツ」してます。ムツカシイけれど、やっぱりおすすめです。
ちなみに、タイトルの「MNAOMAI」とは新約聖書にも出てくる言葉で、発音は mnah’-om-ahee「ムナオマイ」。ギリシア語で、追憶すること、心に思いを抱きつづけること、忘れずにいること、を指す名詞です。現代フランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールさん(Jean-François Lyotard)の著書『リビドー経済(Economie Libidinale)』から引用してタイトルにしているそうです。
音楽でありながら、哲学的な側面が見え隠れするアルバム、文字通り異彩を放つ作品といえるでしょう。
(参考:『忘れずにいること、思い巡らし、記憶を保ちつづけるために』堀内宏公)

Pharoah Sanders

ジャズってムツカシイんですよね。何がムツカシイかっていうと、友人たちに「これ、いいよ」って気軽に薦めるジャンルではないっていうこと。「○○クンって、どんな音楽聴くの?」「やっぱりジャズかな…」「ふ〜ん」ってな感じで気まずい感じで終わってしまう女の子との寂しい会話。こっちでは「マイルスのモードっていうのはだな…」とウンチク爺が語り、あちらでは「やっぱりアンプは真空管がいいよね」みたいなオーディオ偏重派がいたり…。ジャズっていうだけで、本来の自由な音楽性を邪魔する「付属品」がまとわりついてきます。
加えて、フリージャズに代表されるグニャグニャで、「空気、読めよ」といった揶揄が飛んできそうな音源にぶちあたった日には目も当てられない、そんな光景が目に浮かびます。
あれやこれやで、内外野ともジャズをめぐる論議がかまびすしいところではありますが、そんな中でも「これ、いいよ」ってオススメできる音源をおひとつ。サックス奏者、ファラオ・サンダースさん(Pharoah Sanders)の『ラブ・イン・アス・オール(Love In Us All)』におさめられている『Love Is Everywhere』がそれ。ファラオさんは、フリージャズの旗手とあがめられている人ではありますが、この曲に限っては、ジャケットのアートワークに象徴されるように、わかりやすいつくりとなっていて、同アルバムのライナーノーツがその特長を的確に述べています(ちなみに、『Love Is Everywhere』では、ファラオさん、サックスだけでなくヴォーカルにもチャレンジしていて、その歌声から心底楽しんでいる雰囲気が伝わってきます)。

『セシル・マクビーのベース・ソロがテーマとなる短いフレーズをイントロで導き、シンプルなコード・パターンを描きながら続けて挿入されるノーマン・コナーズの細やかな手挽きのドラム・ワークやジョー・ボナーのピアノの音色が徐々に重ねられ高揚感を高めていく叙情的で美しい軌跡を描くナンバーである。プレイヤー全員が一体となってテンションを高めながら上り詰めていく様は感動的だ。溢れ出る感情を剥き出しにしたプレイヤー達が生み出す濃密なインタープレイに心奪われながら、我々リスナーは音の洪水を抜けたサンクチュアリーへと誘われる。(中略)エンディングまでの音旅行を楽しめる至福の時間だ。セシル・マクビーのベースを合図にリフレインを繰り返しながらエンディングへ、そして永遠に続く精神世界への旅立ちへと向かう。何度繰り返し聞いても目頭が熱くなる思いを抱く作品だ。』

『Love Is Everywhere』のテーマはベタですが、「愛(ラブ)」です。「愛の讃歌」といえば、亡き越路吹雪さん(古い?)を思い浮かべる方もいらっしゃるかと思いますが、ファラオさんの『Love Is Everywhere』は、ジャズ版「愛の讃歌」といえるでしょう。かのジョン・レノンさんが追い求めたピースフルな「ラブ」もステキですが、ファラオさんのスピリチュアルな「ラブ」も”愛のジャーニーズ・エンド”を見事に描き出しています。

Ligia Piro

「音響派」。洋楽ファンの方であれば一度は耳にしたことがあるはずのキーワード。私の場合は、Tortoise(トータス)からはじまって、Jim O’rourke(ジム・オルーク)、The Sea and Cake(ザ・シー・アンド・ケイク)などのいわゆる「シカゴ音響派」あたりからでしょうか。「これが音響派です。」といった明確な定義づけはされていないのですが、『けだるくて、ユルくて、ダークネスで、実験的で、都市的倦怠感のオーラを放っていて、ノイジーとはちょっと違って、そこはかとなく漂う耽美主義的なメロディがメランコリックな気分にさせ、それでいてカッコいい音楽』と自分なりに解釈しています。
そんなピンぼけしたような語りしかできないような「音響派」ビギナーの私ですが、近頃「アルゼンチン音響派」がにわかに脚光を浴びているらしく、あしげくレコードショップに通っていたのですが、ヤバい音源を見つけちゃいました。
神様はときどきいたずらをするようで、抜群の音楽センスと美貌を同時にひとりのアルゼンチン女性に与えてしまったようですLigia Piroさんがその人。「鏡とセックスは忌まわしい。人の数を増やすから。」と言い放ったのは、同郷の小説家・詩人、ホルヘ・ルイス・ボルヘスさんですが、彼女の存在をもってすれば、ボルヘスさんの暴言(?)も吹っ飛んでしまいます。
曲目リストを見ると、ジャズのスタンダードナンバーがズラリと並んでいて(一曲だけスティングさんの名曲『MESSAGE IN A BOTTLE』が入っています)、「あぁ、女性ジャズヴォーカルの新人さんかな…」と思わせるのですが、PLAYボタンを押した瞬間、私のアマ〜い予想はマッスルなバックドロップで粉々になってしまいました。ジャズで、しかもスタンダード、それでいて完璧に「音響派」しちゃってるんですね。
「少し変わってるの、そこらの女とはちょっと違ってるのよね」「その娘は寒くないのかな」「そう、寒さも忘れてたわ」「そいつは矛盾している」「そうね、彼女は自分に閉じこもってたのね」といった冒頭の会話に始まって、二人の会話だけがなんと180ページも続く小説『蜘蛛女のキス』(マヌエル・プイグ←この作家さんもアルゼンチン人)が「とんでもない小説」だとすれば、Ligia Piroさんは「とんでもない音楽」のど真ん中にいるアルゼンチーナです。
スゴイよ、アルゼンチン。サッカーが強くて、文学もずば抜けているけど、「音響派」も負けてないです。

Gustav Mahler

年齢不詳の私ですが、パーソナル・ヒストリーを僭越(せんえつ)ながら披瀝させていただきます。カッコイイのか悪いのかわかりませんが、私は28歳で大学に入学しました。当時サラリーマンをしていたので、昼は会社、夜は学校、授業が終わってまた会社で仕事という二重・三重生活を4年間つづけました。大学は私立の美大でしたので、給料の大半は学費に消えてしまいましたが(私立の学費は高いですね・苦笑)、自分なりにいいお金の使い方をしたと思っています。年の差が一回りも離れた若者たちと共に過ごした学生生活は、「与える」ことより「与えられる」ことの方が多かったような気がします。
そんなステキな仲間たちとの卒業制作展がドイツ人の先生のご尽力によりバウハウス(写真)で行われることになりました。そうです、あのバウハウスです。4年間の集大成がバウハウスでできるというのは、これ以上の舞台はないと思えるほど感慨深いものでした。会場を訪れてくれた方々は作品を前にして、積極的に私たち学生とコミュニケーションをとろうと様々な質問を投げかけてくれました。英語で四苦八苦しながらの問答を思い返すと、今でも背中に汗をかいてしまいます。

あれから10年。いま思い起こせば、あの頃が私の絶頂期だったかなぁ。
「いやいや、そんなことはない。」微かな可能性に希望を見いだそうとする自分。
一方で、もうこれ以上は無理。一度希釈された人生の濃度はもうもどらない。薄い呼吸の中で余生を送ってゆくのだろうか。わからない。でも、はっきりしているのはこのテキストを書いている背後にマーラーの交響曲第五番、葬送行進曲が不穏な空気とともに流れているのは確かだ。

Susanna And The Magical Orchestra

このところ夜な夜な聴いているアルバムがあります。いくら眠剤が処方されているとはいえ、なかなか入眠できないのがこの病気のツライところ。
早く床に就きたいところですが、彼女の歌声が心地よい睡眠作用を引き出してくれるので、真夜中に、ひとり部屋で聴いている次第であります。
アルバムタイトルは、『リスト・オブ・ライツ・アンド・ブーイズ(list of lights and buoys)』。誰から勧められたわけでもなく、たまたまCDショップのジャズ・コーナーの片隅で見つけたのですが、スリーブに書かれていた『静謐なうた』というコピーと「ルーネ・グラモフォン(rune grammofon)」という私にとって信頼できるレーベルからリリースされていることが購入への動機づけとなりました。
アーティストは、「スザンナ・アンド・マジカル・オーケストラ(Susanna and the magical orchestra)」という新人です。アーティスト名に「オーケストラ」と入っていますが、実際には歌手スサンナ・ヴァルムルー(Susanna Wallumrod)とキーボード・プレイヤーのモッテン・グヴェニル(Morten Qvenlld)によるデュオです。アルバムの構成は、オリジナルが9曲、カヴァーが2曲。
優れたアルバムは、イントロダクションから人を惹き付けるものをもっていることが多いのですが、レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)のカヴァー「フー・アム・アイ(Who am I)」で始まるこのアルバムも例外ではありません。彼らの非常にパーソナルな解釈で再構成されたこのカヴァー曲は、スサンナのアーティストとしての実力を示すにはあまりあるほどです。センシティブな低い歌声は、部屋の冷たい空気の中で私の感覚に直に響いてきます。
つづくジョリー・パートン(Jolly Parton)のカヴァー「ジョリーン(jolene)」は陽気だった気分をいっぺんにメランコリックの極限まで追い込むかのような歌声で私の心に迫ってきます。彼女独特の歌声からひろがるサウンドスケープに私は完全に引き込まれてしまいました。デビュー間もないデュオですが、ビョークと比肩される日も遠くはないだろうと思います。
3曲目以降のオリジナル曲も印象深いつくりになっています。静謐であるだけでなく、幽玄で、壮絶で、耽美的で、寂寥感あふれる重心の低いヴォーカルが強烈です。
ちなみに、キーボード・プレイヤーのモッテン・グヴェニルは、同じくルーネ・グラモフォンからアルバムをリリースしている「イン・ザ・カントリー(in the country)」の活動に専念するために、『リスト・オブ・ライツ・アンド・ブーイズ』を最後にスサンナとの活動を解消するとのこと。ちょっと残念。ただ、「イン・ザ・カントリー」もアコースティックな音づくりで新鮮な印象を与えてくれているのでこれからも注目していきたいバンドです。

Miles Davis

今日の私のココロを表情にたとえたら、マイルス・デイヴィスのアルバム「TUTU」におさめられているポートレートそのままだ。

朝7時。

家族が朝食をとっているのはベッドのうえでもわかる。

母がパートに出かけるのもわかる。

昼食の音も聞こえてくる。

それでも、起き上がることができない。

トイレに行きたくても身動きが取れず、あいかわらずベッドの上に横たわったままだ。

ツライ。

やっとの思いでベッドから這い出たときには、14時をまわっていた。

遅い昼食の後、朝と昼のクスリを一緒に服用。

ダメだ。

適当な時間をおいて、頓服薬として処方されているロキソニンとレキソタンを飲んで、なんとかやり過ごした。

明後日は、退院後、二回目の外来での診察だ。

希死念慮が暗い地下水のように、よどんだ血として体内をゆっくり浸食しているけれど、あと二日。

なんとか持ちこたえよう。