Yoko Ono

久しぶりに読書をした。

『今あなたに知ってもらいたいこと』オノ・ヨーコ著

うっとうしい啓蒙書の類いは、私にとって大の苦手なのだけれど、オノ・ヨーコさんから発せらた言葉は無視できないと思った。

平易な日本語で運ばれてくるオノ・ヨーコさんの思い・メッセージは示唆に富む内容。
耳元でささやくような文体はくりかえし読む度に新たな発見とともに春の息吹のようなすがすがしさを与えてくれる。

中でも「Bless you」と題された一章は異色の出来。以下、本文より引用。

…前に進もうとするのですが、私を押さえようとする人たちに足をひっぱられて動けない感じでした。
「これに負けてはいけない」
そんなとき、「このままでは自分がだめになってしまう」と思って、始めたのが人を「Bless」(祝福)することです。

(中略)

たとえば女性なら、お姑さんとうまくいっていないこともあるでしょう。あなたをいじめるということは、他にすることがないのです。かわいそうなお姑さんでもあるんですね。
だから、かわいそうだと思って「祝福」してあげてください。そうすると、あなたのお姑さんに対する態度が変わってくるでしょう。それによって、お姑さんのあなたに対する態度も変わってくるかもしれません。おもしろいと思いませんか?
あなたが祝福している相手が自分を愛してくれる、というのとは違います。そんな甘いことではなくて、敵を祝福するという難しいことをしたために、あなたがもう少し強い人間になったということです。そして、それを向こう側も感じないわけにはいかなかったということだと思います。
向こう側からバッシングされることが終わらなくても、あなたが相手を祝福してあげたことによって、あなたは強い健康な人間として前に進んでいくことができるようになったということです。

「Bless」するということは、概念を理解するだけでなく、日常的な行為として実践できそうだ。

「すぐにでもやろう」

そう思ったとき、次の言葉がふっと湧いてきた。

「ぼくはふと幸福ということについて考える。幸福はおそろしい。いつでも誰かを亡ぼす。誰かでなければ、自分を」寺山修司

「Bless」することは、確かに心の平和という幸福をもたらすだろう。
しかしながら、それは万人に与えられるものではない。幸福と滅亡は表裏一体だ。自分自身が滅びる危険性に怖じ気づいて「Bless」することをやめるべきか。

少なくとも私にとっては、否である。

私は、「Bless」する。


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